『第11回未来のお医者さん・看護師さん作文コンクール』入賞作品一覧
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『第11回未来のお医者さん・看護師さん作文コンクール』 入賞作品一覧
大泉 陽子様(東京都 小学校3年生)
「わたしが思う未来」
大泉 陽子
わたしのおばあちゃんは、右目が見えません。小さいころから少しずつし力が悪くなっていったと聞きました。
きょ年の冬、おばあちゃんは目の手じゅつをしました。左目は少しよくなったけれど、右目は見えないままです。おばあちゃんが、入いんしている時、お母さんといっしょに毎日びょういんに通いました。おばあちゃんのりょう目にはガーゼがのっかっていて、ガーゼをとりかえるためにお医者さんやかんごしさんがいつもやさしく声をかけてくれていました。
「今日は、どうですか?」
「いたみはありませんか?」
と声をかけられているおばあちゃんの目は、ガーゼでおおわれていてお医者さんの顔は見えなかったけれど、お医者さんやかんごしさんと話をしているおばあちゃんの声はうれしそうでした。
わたしのそうぞうする未来のお医者さんは、手をびょう気や具合いの悪い人に上から下へとかざしていくとどこにいたみがあってつらいのかを見分けることのできるうすい手ぶくろみたいのを手につけています。まるでまほうみたいな手ぶくろです。
ほかには、手でにぎってもくしゃくしゃにならない紙があって、その紙を3秒つまむとびょう気の人がなおしたいなと思っているところがよくなっていくおまじないみたいな紙も発明されて未来にはできていると思います。
もし、わたしがお医者さんになったら、一番にかん者さんにしてあげたいことは、え顔でかん者さんに話かけることです。手をにぎって気もちをわかってあげられるお医者さんになりたいです。
そんな心のキャッチボールができる私になるために、わたしは、今、心も体も大きくなっていくためにがんばります。
佐々木 陽子様(東京都 小学校3年生)
「未来のお医者さん」
佐々木 陽子
この夏、私の73歳になる祖母が、大学病院で変形股関節の手術をした。私の両親は、共働きで、私も、姉も妹も、いとこも、祖母に育ててもらったので、一ヶ月も入院して、はなれるなんて考えられなかった。
私が小さいころは、いとこと二人をバギーにのせ、散歩するくらい力持ちで、スキー1級のうで前を持つハッスルだったのに、春には全く歩けなくなり、食よくも元気もなく、部屋にこもる毎日だった。
「手術してもう一度みんなと旅行したい。」という一心で、手術を決意し、入院した。
私はまだ子供なので、なにもできない。
毎日宿題をして、学校の支度をして、妹の世話や、母の手伝いをして、「手術が成功して早く祖母が元気になりますように」とお祈りをした。
7/13、5時間近くにおよぶ手術は無事成功し、リハビリをがんばり、祖母は少しずつ歩けるようになり、無事に退院できた。入院中、リハビリ室で義足をつけた男の子が泣いていたので、「こんなおばあちゃんもがんばっているんだから、いっしょにがんばろう!」と声をかけた話が9才の私の胸を打った。
退院後も、「陽ちゃんは、よく気が付くから一緒にいると心強い。」というので、祖母に付きそい、リハビリに行き、毎晩お風呂の後は湿布を張っている。
入院中も、リハビリ中も、医師や看護師さん、リハビリの先生にもとてもやさしく親切に助けていただいた。
祖母の担当医は、ラクビー選手だったので、けがの痛みがよくわかるそうだ。全然歩けなかった祖母が今ではスタスタあるけるなんて夢みたいなマジックだ。お正月には一緒に旅行に行けそうだ。
私は今年の夏休みの自由研究で「リハビリテ−ション」について勉強し、義肢協会や工場やリハビリ病院を見学した。不可能が可能に、持てる力が生きる力、ほめることが大切なことを学び、感動した。
私も一生懸命勉強して、病気やけがで困っている人を救いたい、いたみや患者さんや家族の心や気持ちのわかる医師になりたいと思う。
田中 耕大様(東京都 小学校6年生)
「未来のお医者さん」
田中 耕大
僕は将来、今よりももっと優れた腎臓病の治療法が見つかるといいなと思っています。
もっと言えば、僕がその治療法を見つけたいです。
なぜ僕がここまで腎臓病の治療法にこだわるのかというと、父が腎臓病だからです。
父は、腎臓病の治療法である透析をしています。
皆さん、透析を御存知ですか。
透析では、ダイアライザーという機械を使って血液をきれいにします。
なぜそんな事をするのかというと腎臓が弱り機能が働かないから、機械にたよって体の中の老廃物をとりのぞいているのです。
また、透析患者は食事制限もされており、生野菜、乳生品などまたラーメンやピザなども、その中でも塩には気をつけなけてばいけません。
なぜかというと、透析患者は腎臓が働かないため水を摂取しても外には出せないから、摂取した分、水をとらなければならない塩はあまり摂取しないほうがいいんです。
この様に、いつもは当たり前だった食生活も透析患者にとっては、気をつけなければいけないことが多くあります。
そして生活でも色々問題があります。
まず、腎臓があまり機械しないからつかれが一倍多いということです。
これには、本当に首をうなずけました。
透析から帰ってきた父はとてもつかれており、僕はそんな父を見てなんとかしてあげたい、という気もちでいっぱいです。
また、馬力もふつうの人の半分と聞きました。
そして、透析は週3回4時間ということで 仕事にもえいきょうが、大きいです。
僕は、この作文を通して、そんな父のつらさをなくしたい、と思いました。
西原 正揮様(兵庫県 小学校6年生)
「無題」
西原 正揮
最近、僕のお父さんは、腎臓がんの手術をしました。これまでテレビで手術をする場面を何度か見たことはありましたが、大切な家族が大きな病気にかかることは、特別なことではないと感じました。
幸いなことに、お父さんの手術はうまくいきました。傷口を見せてもらうと、小さな穴のような傷跡が3ヶ所と4センチほどの縫った跡がありました。腹腔鏡手術という難しい言葉を教えてもらいました。僕が想像していた傷跡よりも小さかったので、痛みも少しはましなのかなと思いましたが、それでも手術後は少し動くだけでも痛かったそうです。
僕は、自分が大きくなったら医者になって、痛みをできるだけ感じないような手術ができたらいいのにと思いました。それから、お父さんは手術をするまでにいくつかの病院で診てもらいましたが、同じような検査を何度もして疲れたと言っていました。同じような検査をするのなら、どの病院でも共通で使える電子カルテがあればいいのにと思いました。そうすれば、お金も時間もかからないし、患者の負担も軽くなるからです。
お父さんの手術をした先生は、すごく丁寧に説明してくれたそうです。誰でも自分の体のことをすごく心配しているはずなので、医者がしっかりと説明することで、安心してもらえることが一番大切だと思います。そのために、僕は今、国語の勉強を一生懸命やっています。日本語は、微妙なニュアンスの言葉がたくさんあるため、伝えたい内容が正しく伝わらない場合があるからです。
それと、術後は薬を飲んで痛みを和らげたり、症状を抑えることも大切です。薬は、処方せんがあれば、どこでも出してくれるので、以前よりも待ち時間や負担が少なくなったと聞いていますが、個人確認をしっかりと行った上で、宅配サービスができればいいのにと思います。僕が大人になって医者になることができれば、もっと便利なしくみをたくさん考えて、みんなに喜んでもらえるようにしたいです。
松野 伸人様(東京都 小学校3年生)
「楽しい病院」
松野 伸人
ぼくは、楽しい病院をいろいろ考えてみました。
おもい病気で入院しても、いっぱいわらわせてくれる、え顔にしてくれる病院。
赤ちゃんがいっぱいないたら、だっこしたりして楽しませてくれる。
病気やけがで泣きたくなるような毎日をえ顔でいられるように、楽しい話やおどり、たまにおわらいなどしてくれたりするのの楽しい病院だと思います。
ぼくは、お母さんからナチュラルキラー細ぼうのことを聞きました。
ナチュラルキラー細ぼうは、「わらい」で細ぼうが元気になり、ガン細ぼうや体内にしん入したウィルスなど、体に悪いえいきょうをおよぼす物をたいじしてくれます。
ナチュラルキラー細ぼうはすごく力を持っているのです。だから、ぼくは、楽しくていつでもわらえる病院があれば、みんな病気になっても元気になって、病気もなおると思いました。
実はぼくは2さいの時に川さき病になり、入院したことがあります。
入院した時のことはあまりおぼえていないけど、家ぞくやおじいちゃん、おばあちゃんたちがおみまいに来てくれました。
入院してつらかったぼくを家ぞくや病院の先生、かんごしさんが楽しませてくれて、元気になりました。
なので、いつもえかおにしてくれる楽しい病院が未来にあったら、みんな病気になっても楽しみに病院に来てくれると思います。
世界中にわらいのある病院といつもえがおにしてくれる先生たちがいる病院がいっぱいできたら、ガンや重い病気もなくなると思います。ナチュラルキラー細ぼうがいっぱいうまれる病院ができるよう楽しみにしています。
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